Dec 2017

神経科学学会ニュース ラボ紹介記事
(完全版)

このラボ紹介記事は、神経科学学会発行の「神経科学ニュース」に書いたものです。

 

私は2016年2月よりUC Irvineにて研究室を主宰しております。ラボ開始から一年半が過ぎ、ようやくいくつかグラントがとれるようになり、やっと一息付けたように感じています。私は東大理学部の坂野仁先生の研究室で卒研を行い、医学部の森憲作先生の教室で嗅覚生理学研究を行って学位を取得しました。その後、ノルウェーのEdvard Moser, May-Britt Moser先生の研究室でポスドクを行いました。そのあたりまでの経緯は2014年に神経科学奨励賞を頂いた際のエッセイ(http://www.jnss.org/syorei/2014igarashi/)に譲るとして、その後ラボ立ち上げから現在までの経緯について、エッセイも交えて記したいと思います。


職探し

2014年にMoserラボでの嗅覚記憶の研究がまとまり(Igarashi et al., Nature 2014)、そろそろjob huntingをするかということになりました。しかしラボはノルウェーの片田舎のトロンハイム、これまでのラボの先輩はアメリカで独立したアメリカ人たちが多く、日本人の自分には事は同じようには進まないだろうと予感していました。ボスの顔の利きそうなヨーロッパ内の方が仕事が見つかるかもしれない…とも思っていました。ちょうどその秋、ボス夫妻がノーベル賞を受賞し(ラボは大騒ぎになりました)、それまでよく聞かれた「五十嵐さんは何でまたスウェーデンなんかにいるの?」という質問(しかも、質問自体が間違っている)をされなくなったのは有り難いことでした。新卒の就活学生よろしく、Job openingの出ていた世界中の大学50カ所ほどにせっせと応募を出したところ、イギリス、アメリカ、日本から面接に来るように、と連絡が来ました。その頃私の考えていた条件は、(0)tenure-track positionであること(もうこれ以上引越したくなかったのでこれは大前提)、(1)これまでの研究環境と(あまりに大きな)変わりなく研究が続けられる大学、 (2) 国外ならば日本から直行便がある町、(3)子供の日本語教育のための補習校のある町、(4)できれば治安のよくて住みやすい町、というものでした。Moserラボの研究環境はすばらしかったのですが、トロンハイムは日本人がほとんどおらず、留学当初は豆腐も納豆も売っていないようなところでした(どちらも自作したことがあります)。また、トロンハイムは海外への直行便がなく、どこへ行くにもオランダのアムステルダム経由、日本から12時間飛行機に乗った後、6時間待ちを経てトロンハイムへの2時間半の飛行機に乗る頃にはクタクタを通り越しています。また、気候は厳しく、冬は寒く、北緯63°で日照が4時間しかないため暗いのです。日本やSfN meetingから戻り、トロンハイムの空港に着いて飛行機の窓から見える吹雪を見ていつも感じていた、「ああ、またここに帰ってきてしまった」というあの感覚は忘れられません。

最初に呼ばれたUniversity College Londonの面接では、「ロンドンで家は買えますか?」と愚かにも質問して、面接官で来ていたA先生の失笑を買ったため、あえなく不合格となりました。次に面接に呼ばれたのがUC Irvineでした。下調べをしたところ、どうやらアーバインは(1)から(3)のみならず、(4)までも条件を満たすなかなか素敵な場所のようでした。1月の下旬、暗く吹雪飛びすさぶトロンハイムを後にして、(またもやアムステルダム経由で)降り立ったアーバインは気温23℃。暗い日光に慣れきった目には眩むばかりの陽光のなか、人々がプールサイドで水着姿で日光浴をしているではありませんか。なんて世の中不公平なのだろう、ここで絶対仕事をとってやる、と心に思いました。面接は8人の候補者が違いに発表し合う(=つぶし合う)conference形式で、うち3人はHHMIラボからの候補者でしたが、プールサイドの誓いが功を奏したのか、面接後来てよいと言われました。しかし、おまけがあり、「ただし、来てもいいけど、一週間以内に返事くれないと次の候補にしちゃうよ」と、短期間での決断を迫られました。もっと研究レベルの高いB大学や、日本のR研究所など、まだ幾つか面接が残っていましたが、次の面接でうまくいくかは分かりません。できることなら日本に帰国したいと思っていましたので苦渋の選択でしたが、条件にかなう大学からせっかく頂いたオファーです。残っていた面接を辞退させて頂いて、2016年よりUC Irvineに移ることにしました。結果として、アメリカに全く縁が無かったにもかかわらず職が見つかったのは幸運でした。


ラボ立ち上げ

さて翌年、家族でアーバインに引っ越しました。ノルウェーに移った際もすべてゼロから生活を立ち上げたのですが、またもやゼロからやりなおしです。アメリカ暮らしは生まれて初めてで、右も左もわかりません。学科長との最初のミーティングでまず聞いたのは、「冷蔵庫ってなんていう店で買えるの?」でしたが、彼女はあきれることなく、40近い新米教員に丁寧にも道順まで書いて教えてくれました。あの親切は一生忘れないでしょう…。そんなこんなでまさしくゼロから始まったアメリカ生活とラボ立ち上げですが、最初にするのはやはりグラント取得です。アメリカの大学ではそれなりの額のstart-up fundを準備してくれることは周知であり、だれそれは数億円もらったなんていう話も聞いたりしますが、高額なのは有名大学や私立大学の話であり、貧乏公立大学のUC Irvineでは縁のない話です。先輩教員からまず言われたのは、彼自身が当時の学科長であったTed Jonesから言われたという、「start-upは鉄砲と三発の弾丸である。これで最初の獲物を捕ったら、あとはそれを売って自分で残りを食いつないでいかなければいけない」という訓戒でした。そんなわけで、グラント書きを始めましたが、これまで日本とノルウェーでは英語でグラントを書くトレーニングなどしたことがありません。一方でアメリカの研究者は、博士課程・ポスドクの間にNIH fellowshipを書くトレーニングを長期間積んでおり、独立する頃には十分経験を積んでいるのです。一年先に着任した同僚教員は弱冠33歳でassistant professorになりましたが、着任一年で既にNIHのR01(1億円超/5年)の予算を二つも取得していたりします。自分の先が思いやられました。

アメリカにはラボを始めて数年以内の人向けの数百~数千万円程度のグラントがかなりの数存在します。これらにアイデアを絞りだしながら合計20以上応募しましたが、最初はすべて失敗でした。ほとんどはfeedbackがありませんが、reviewerのfeedbackがあって年に数度応募のチャンスがあったりするものもあるので、懲りずに出し続けました。Reviewer’s commentに、「アイデアはいいかもしれないけれど、こいつの英語はヘンテコだから採用できない」と書かれたこともあります…。それ以来懲りて、native checkを端折らないようにしています。グラントセミナーで言われて、なるほどと思ったのは、「グラント申請書は、ベンチャー企業設立の資金集めと基本的に同じである」ということです。資金を出してもらうために、自分の研究が他とどう違い、どれくらい有望かを売り込むセールスをすること。これを、アメリカ流の饒舌さで書かなければいけません。言われてみれば当たり前なのですが、そういうトレーニングは受けたことがありませんでした。

グラント書きと平行して、ラボ立ち上げの買い物を始めましたが、なにしろ弾三発分しかお金がありません。「買物は一番安い物を、最低限のみ買う、誰かから借りれるものは買わない」というケチケチラボで始めました。まず、退官した教員が持っていた備品をかき集めました。70年代製の古いニコンの顕微鏡は、使い方が分からず日本の本社に電話で聞いたところ、「えっ?まだそんなの使っているんですか?」と驚かれました。これまた70年代の手術用実体顕微鏡は、Zeiss製で見えがよいですが、ランプが壊れており、Made in West Germanyと書いてあります。Cryostatは隣のおじいさん教授の20年前のものを借りることにしましたが、刃先がガタガタするので騙しだまし切るしかありません。机や椅子は大学のリサイクルオフィスで格安で買いました。これらを2名の学部生と一緒に掃除したり運んだりして、どうにか実験ができるようになりました。

グラントの方は、数回出し続けてくるとだんだんコツもわかるようになってきました(reviewerもそろそろうるさくなってきたはず)。最近になってやっといくつかグラントを頂けるようになり、一年半を経て弾丸四発ほどが補充できました。しかし、アメリカではNIHのR01を取ることがどの教員にも期待されており、これを持っていないと5年後のtenure審査に合格しません。現在R01を取得するべくコツコツと準備を進めています。幸いにもJSTさきがけの「光操作」に採用して頂きましたので、ついに蛍光顕微鏡もcryostatも新調できました!さきがけには、東大同期の山下貴之君(名古屋大)やMoserラボ同期の伊藤博君(Max Planck研究所)がおり、さながら同窓会のように領域会議を楽しみながら、日本の研究との接点を保つことができています。


ラボの研究内容

これまでの生理学では個々の脳領域の活動を記録して解析するというのがオーソドックスなスタイルでした。しかし、脳では当然のことながら、無数の領域が密接に協調して活動することで、私たちの行動を作り出しています。ニオイの記憶一つを取ってみても、嗅球から入ったニオイ情報は嗅皮質へと送られ、嗅内皮質からさらに海馬までの様々な回路が協調し合って働くことで、記憶が形成されていると考えられます。このさき生理学はどのような方向に行くのかと考えたとき、複数脳領域がどのような生理メカニズムによって協働するのかを明らかにすることと、その協働をささえる領域間投射の解剖構造を明らかにすることが意義のあることではないかと考えるようになりました。そのような流れの中でこれまでの研究を行い、行動中の齧歯類の複数脳領域からの同時記録法と、単一細胞の長距離可視化法を開発・使用してきました。今後、これらの方法に光遺伝学を加え、嗅覚野-嗅内皮質-海馬の記憶回路をモデルとしてこの問題を明らかにしていきたいと考えています。目下進行中のプロジェクトは、(1)領域間の協働を支えるガンマオシレーションが、記憶の際に嗅内皮質-海馬回路のスパイク活動をどのように変化させるのかを明らかにすること、(2)この生理活動が記憶回路の疾患、すなわちアルツハイマー病でどのように変調するのかを明らかにすることです。後者のプロジェクトは、数年前にアルツハイマー病の祖母を何も治療が行えないまま亡くし、せっかく記憶研究をやっているのだから何か貢献できるのではないかと感じたことから、UC Irvineに来てから開始したものです。嗅内皮質はアルツハイマー病では最初期に神経脱落が見られることが知られていますが、実際にどのような神経活動が低下することで記憶の低下が生じるのかはほとんど分かっていません。理研の西道先生から頂いた新型アルツハイマー病モデルマウスを用いて解析を行ったところ、嗅内皮質のガンマオシレーションが低下していることを見いだし、小さな論文にまとめました(Nakazono et al., Front Sys Neurosci 11:48, 2017)。今後どちらも大きなプロジェクトに育てて行きたいと思っています。


大学院生を「雇う」ということ

その後、京大(現同志社大)の櫻井芳雄先生の研究室で学位を取得した中園智晶君がポスドクとして、Johns Hopkins Univから来たHeechul Jun君がMD-PhD studentとしてラボに参加してくれ、実験を一緒に行っています。ポスドクの給与をボスが支払うのは日本でも同じですが、こちらで大学院生をラボに受け入れる際には、「院生への給与」と「大学への学費」の両方をボスが払わなくてはいけません。UC Irvineの場合、それぞれ年間350万円と190万円ですので、年間合計540万円をボスが用意する必要があります。MD-PhD studentの場合最低4年間は在籍するので、しめて2160万円をあらかじめ支度してほしい、とHeechul君を受け入れる前に学部長に言われました。苦労して取ったグラントはこのようにしてほぼ人件費となり、新しい機材を買うことはなかなか難しいのが現状です。


翻って、日本ではどうだったかな?と自分のときの事を思い出してみました。あれ、記憶を封印していたけど、なんだかイヤなことをいろいろ思い出してきたぞ…。修士・博士6年間の学費は年間50万円。修士時代は無給だったので、育英会から借金をしていましたが、月8万の借金では足りず、塾講と代ゼミの採点バイトをして、月に5万ほど稼いでいました。そうだ、東大模試生物の採点を研究室でやっていたら、助教の先生に「研究室でナニやってるんだか」と嫌味を言われたのを思い出したゾ…。「おまえが給料払ってくれればこんな苦労しなくてすむんだよ!!」とは心の中で叫んだだけですが、すごく悔しかったです。住んでいたのは月4.5万のボロ下宿でした。あの頃はつらかったなあ。博士1年になって育英会の額が月12万円に上がり、すこし楽になったように感じました。単にこれは借金が増えただけだったのですが…馬鹿だなあ、当時の俺。数ヶ月して、先生方が取得したCOE予算から、博士院生に月10万円の補助を頂けるようになったのは大きかったです。博士二年から学振DC1をもらえ、学費も半額免除になったので、育英会をやめてようやく人心地ついたのもつかの間、結婚したとたん東大本部から半免取り消しを通達され、卒業まで学費を全額はらうことになったのでした。うう、今思い出すだけでもこの状況はひどすぎる。。。半免取消なんて、金額的には大きなことではないかもしれません。しかし、この件が私にとって深刻だったのは、研究者の卵が金銭的に苦しい状況の中、なんとか金銭的独立を獲得しようともがいているのに、その努力をくじくようなシステムが当たり前のように大学に存在していたことです。

この件での東大への恨み、私は一生忘れることはないでしょう。はっきり言って、金銭的な不安が常につきまとっていた大学院生時代でした。

(おまけ。私は育英会1種で教員になると返却免除が得られた最後の学年だったので、当時は返さなくてもいいと思って12万の借金を喜んだのでした。結局その目論見はアメリカの教員(=免除不可)になったことでまったく外れ、350万円の借金を現在返還中、いまだ日本の大学院生時代のつけを払っています。やれやれ。)

それにくらべて、Heechul君はどうでしょう。十分な給与が与えられ、何の心配もなく研究に打ち込めること請け合いです。家は大学が用意した、プール・ジム完備の素晴らしい大学院生寮があります。Heechul君は最近結婚しましたが、28にもなれば当然そういう歳ですよね。「大学院生のくせに結婚なんかしちゃって」などという私が浴びせかけられた嫌味は、この国やノルウェーでは誰も言いませんよ。アメリカは給与350万円ですが、ノルウェーでは大学院生の学費は無料、給与はなんと年間600万円でした。そのため、世界から優秀な人材がノルウェーで学位を取るために学びにくるのです。結婚して子供を持ち、家を買って持ち家に住んでいる大学院生同士の夫婦なんていうのもざらでした。

ノルウェーにいた頃、MITとCaltechで学位をとったポスドクの同僚たちと雑談していた時の会話。

「ノルウェーの大学院生はたくさんもらえていいよなあ。俺はMITでの給料は300万円くらいだったけど、おまえは?」

「Caltechにいたときはfellowshipもらってたから結構よくて、400万円くらいだったよ」

「ケイ、おまえは?」

そこで私が(やり場のない怒りを込めて)返します。

「あのさあ、知ってる?東大はくれるんじゃなくて払うんだよ?」

「うそ、マジで?!ギャハハハ」

…こんなの笑い話にしかなりません…恥ずかしい。

割高な給料を払ってまで大学院生を雇う。それはつまり、プロとしてよっぽどの見込みがある人材だけに限定して選抜し、育成しようという考え方だと思います。それだけ投資するのですから、教育もまじめに考えなければいけません。一人の院生に学科の教員数名がアドバイザーとしてつき、半年おきに進捗状況をチェックします。「放任主義」などという聞こえのいい言葉は決して聞こえてきません。日本での「学費を払ってくれるお客さん」には、学位をあげないと次のお客が来なくなってしまうので、手加減するほうに力学が働きます。しかしこちらでは「給料を払っている従業員」にはしっかり成果をだしてもらわないとボスも大学も投資分を回収できないので、院生に成果を求める方向に自然と力学が働きます。このように、両国の大学院生制度では根底にあるロジックが全く異なるので、一見同じようなものに見えて、まったく別物なのだということに改めて気づかされました。

これまで分子生物学を学んできたラボのHeechul君ですが、生理学を一からたたき込まなければいけません。生理学は分子生物学とは異なり、物理を基礎とする学問体系ですので、基礎を一つずつ教えていくのはなかなか根気の要る作業です。生理の実験技術も職人技的なところが多分にあり、毎日一緒になって実験をしています。知識と議論技術を付けさせるため、毎日昼食の時間には30分のjournal clubを行い、厳しく突っ込んで議論ができるようになることを願って指導しています。


アーバイン市とUC Irvineの環境

なかなか良いところではないかと予想して来たアーバインですが、予想以上でした。まず、アーバインは日本企業の支社が多く日本人が多く住むため、日本食スーパーやレストランが至る所にあります。ノルウェーの片田舎から来た私には、ここはまるで日本で暮らしているかのような快適さです。南カリフォルニアの夏は25-30℃程で乾燥しているためとても快適で、冬でも15-25℃と暖かく、ブーゲンビリアやジャスミンが咲き乱れています。おそらく世界で一番季候の良い場所なのではないでしょうか。海が近く、車で15分ほどで海水浴ができます。雪が恋しくなるかと思ったのですが、車で一時間半も行くと標高3000mのサンガブリエル山地があり、スキーができます。こちらでは朝にサーフィンをして午後にスキーができるとよく言いますが、tenureを取る前は残念ながらそんな余裕はなさそうです。アーバインは1960年代に計画都市として始まったため、高所得者の住む住宅がほとんどで、治安は極めて安定しています(全米一安全な都市にランクされたこともあるようです)。加えて、学生・ポスドク・教員はすべて大学構内に住宅を借りるか買うかができるため、家からラボまでは自転車で10分以内の距離です。私は東京で中学から約20年、毎日3時間近くを電車の中で過ごしましたが(これは外国人と話すときのネタです)、その分をいま取り返しているのかもしれません。

UC Irvineはランキングでは中堅校ですが、1965年に米国で最初に神経科学学科を設立した大学で、記憶研究の分野では知らない人はいません。その当時から記憶研究を牽引してきたJim McGaugh, Gary Lynch, Bruce McNaughtonらご高齢の先生方が、いまだラボをもち活発に研究を続けていらっしゃいますが、私も彼らのように死ぬまで実験をしていたいと思っています。アルツハイマー病の研究が極めて盛んなことも大学の特徴の一つで、この分野を何も知らなかった私にとっては共同研究者やメンターを見つけるのにはうってつけの環境でした。後から考えると、そのような環境と私の研究テーマとがよくフィットしたからこそ、この大学に縁があったのではないかと思っています。


おわりに

ラボが始まってから一年半、どうにかやってきましたが、すでにアメリカでラボを持っている森研の先輩の内田直滋さん(Harvard)、永山晋さん(UT Houston), 今村文昭さん(Penn State)や、坂野研同期の小宮山尚樹君(UCSD)にはかなり助けて頂きました。最近、知り合いや後輩が次々に海外で独立するという状況を見ていますと、今後、日本神経科学学会はそのような海外の日本人研究者をたばね、お互いを助け合うネットワークとしての機能も持つと良いのではないかと思っており、なにか貢献ができないかと思案しています。

最後に、私の研究室にはアイデアは沢山あり、資金も少しずつ揃ってきてはいるのですが、これを実現してくれる人材がまだ足りていません。一緒に頑張ってくれる方を探しておりますので、少しでも興味を持たれた方はぜひ連絡して頂きたいと思います。また、UC Irvineはロサンゼルス空港からはタクシーで南に45分、サンディエゴへはさらに車で南に一時間ほどですので、SfNに参加の際は、皆様ぜひお立ち寄りください。



ラボホームページ         www.igarashilab.org

連絡先                                    kei.igarashi@uci.edu