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海外で独立研究職をみつけるために
五十嵐の就職活動記 

五十嵐の就職活動記: Open Positions

ここに載せたのは、公開しづらい情報を取り除いたバージョンです。面接のタイムテーブル等を含んだ完全版が欲しい人は五十嵐まで。

*なお、ここでの記述は五十嵐が見た「就活ゲームのルール」を記したまでに過ぎません。高IF、コネ等が求められる現在のルールが理想的なのかどうかはさておき(たぶん何らかの是正が必要でしょう)、いまのルールで勝つためにはルールを熟知した試合運びが必要なのだと思います。

初めに

まず、職探しはpublicationがかなりのウェイトを占めるように思う。(イメージ的には70%くらいのウエイト、残り30%はproposalやコネクション)なので、どんなpublicationを持っているかでいけるところがかなり決まってくると思う。

具体的には、CNS:三大誌、Nat Neurosci/Neuron:姉妹誌 とすると、

世界ランキング1-30位くらいのトップ校(アメリカ):三大誌x 2報以上。

世界ランキング30-100位くらいのResearch Universityと、Max Planck, UCLなどのヨーロッパのtop institutes, RIKEN BSI: 三大誌x 1もしくは姉妹誌 x 2以上

という感じだと思う。

なので、自分のpublicationによって、どこに行けるのかというのはかなり決まってしまうし、行きたいところがあるのならそれに見合うpublicationを大学院生のときから出しておかないといけないということなのだろうな、と、就活が終わってから改めて感じた。

以前は仕事がもらえたであろう姉妹誌x 2以上でも職探しが数年続いてしまう場合もあるようである。おそらくここ数年でハードルが上がってしまっているのではないかと思う。。姉妹誌を2報出す方が、三大誌一報だすよりよっぽど大変だし、個人的にはよっぽどハードワーキングで才能がある証だと思うのだが、どうも昨今の採用する側の都合としては三大誌がある人に目が行ってしまうという傾向があるように思う。これは単にそういう候補者の方が数として少ないということだけなのかもしれないのだが、取る側の選択基準としては「わかりやすい」選択基準としてとられがちなのではないかと思う。

ただし、就活は運とコネクションが大切というのは、紛れもない事実だと思う。僕の場合も、就活中にボスがノーベル賞を取ったことと、推薦者の一人がUCI出身で、プッシュしてくれたのが効いていたように思う。アメリカではボスがCommitteeに電話をするのは当たり前だそうですね。

もうひとつ、候補者がいかに研究費を取ってこれるかは取る側はかなり見ている。なので、アメリカでポスドクしている人はK99はぜひ取るべきだと思う。K99を持っていると、start-upを出さない条件で職を作ってくれたというケースを何件か見た。



いつから始めるか

ポスドク三年目を過ぎた頃から、そろそろ次を探さないとかな、と思い始めた。が、ラボでは論文を一報以上書くのが卒業の条件だったので、それを待つことにした。これは正しかったと思う。審査する側からすれば、いまいるラボで何を成し遂げたかが一番のポイントだし、上に書いた通り、ある程度大きな論文がないと相手にしてもらえない。ただし、ポスドクも6-7年が限界で、それ以上だと仕事は探しにくくなるというのは事実なのだろうと思う。日本に戻るにしても、35を過ぎる戻れなくなるらしい。

僕の場合は2014年の2月にNatureの論文が通ったので、その時点で秋から始めるということにした。もし論文が秋~冬あたりに通りそうだと分かっているのなら、職探しを始めるのはありだと思う。面接前にacceptになる可能性があるから。


条件の書き出し

自分がどういう所に行きたいのかを書き出しておくことは役に立つ。僕の場合、日本でなければ、①良い研究をしているところ(Research University以上)、②テニュアトラック、③補修校のある街、とここまでがほぼ必須で、それ以外にもできれば、④成田・羽田から直行便のある街、⑤英語圏、⑥家が買えること だった。ミシガンとか、ヒューストンとかになればいいなあとぼんやり考えていた。これに加えて、⑦良い治安、⑧良い季候、⑨良い文化、⑩日本食…などがあれば文句ないですね。


Applicationのstrategyについて

ある程度絞って出すのか、それともたくさん出すのかについては、意見が分かれると思う。僕は後者のパターンだったし、トップ校に行けるような自信がある人以外はそうせざると得ないと思う。お見合いみたいなものなので、手当たりしだいやってみるのをお勧めする。ただし、カバーレターとステートメントはgenericなものをつくってタイトルを変えるだけなのは良くない(と後で知った)。一つ一つの大学を事前にリサーチして、コラボの可能性についてはかなり書き、custom-madeなものを丁寧に作って行くのが正解らしい(自分は同じ書類を色々なところに出してしまった)。僕の場合、補習校の無い街には出さなかったので、そこで自動的に50箇所程度に絞られた。


日本か、海外か

僕の場合、ラボ出身者がたいてい独立ポジションでラボを卒業していくので、そうでないと恥ずかしいというのもあった。しかし、日本限定で仕事を探していたら、独立ポジションは結構難しかったと思う。白眉にしたって完全独立では無かったし、日本ではそういうのは理研くらいである(理研は僕の年には結局誰も取らなかった)。日本の場合、どこかのラボのなかで、半独立くらいにさせてもらえる気前の良い先生を探すのが鍵じゃないかと思う。


ヨーロッパとアメリカ

当初、家族がヨーロッパに残ることを希望したこともあり、ヨーロッパでの職探しに注力した。しかし、ヨーロッパでのPIポジションはかなり少ない。そして、先行き不透明なポジションが多い。たとえば、tenure-trackと称しているものは、ウィーンのIST Austriaとチューリッヒ大学、Pasteurくらいだった。UCLは5年で終わりであり、Lecturerのポジションだったし、給料がかなり低く、家族で暮らせるとはとても思えなかった(当然のことながら家を買うことはできない。面接で「家は買えますか?」と聞いたら、refereeで来ていたとっても偉い先生に”Buying a house in London!? Hah!” と鼻で笑われた)。ヨーロッパではポジションを取るよりも、むしろ先にERCのstarting grantをとると、独立ポジションを用意してくれる、という場合が多いように思う。Starting grantはPhD取得後の年限に引っかかってもう出せなかったので、ERCは出せずじまいだった。僕自身はもうこれ以上外国語を勉強する手間が惜しかったので、ヨーロッパだったらイギリスかフランス以外は難しいかな、と思っていた。結局、出したヨーロッパのポジションは4箇所だけだった。一方、アメリカはポジションの数自体が圧倒的に多い。こちらは40箇所出した。Max Planckやスイスの大学でのポジションは条件が結構良いが、それ以外は条件があまり良くなく、平均的に見て、アメリカのポジションの方が条件が良いように思う。


アメリカのポジションの条件について

アメリカのポジションは大学によって条件にかなり違いがある。まず、一番わかりやすのはstart-up fundである。Stanfordにいった僕のラボの先輩は、1.5millionだといっていたが、僕はその半分以下である。。。恐らく、私立学校でランクの高い大学の方がお金があるので潤沢な資金をもらえる。


これは僕もオファーが出た後に他人の条件と比較するまで知らなかったのだが、条件の違いはstart-upだけでは無いことに注意したい。大学間、そして同じ大学内でもdepartmentの違いによって、給与とteaching dutyはかなり違う。

まず給与だが、Hopkinsなどのtop school医学部は0-month salaryや3-month salaryが多いと聞く(いわゆるsoft-money position)。0-monthだと、給料はすべて自分のグラントで取ってこないと行けないので、結果としてR01一つ(およそ250k/year)取っても、研究を進めていくのには足りないということになり、ラボを動かしていくにはR01が二つ以上必要ということになる。よくあるのは医学部以外(生物学科や心理学科)の9-month salaryで、この場合、”This is a university-year appointment”などと書いてある。(つまり、3ヶ月の夏期休暇の給与は自分のグラントでまかなう、の意味)。UCは医学部でも11-month salaryがもらえる、ということで、とてもよいということになっているのだが、公立校は基本給が低いので、50-70%に相当するように思う。

以上、ベースサラリーが何パーセントもらえるのかというのは非常に重要なcomponentである。

Teaching dutyは、Medical schoolは少ないが、Biology departmentは多い。これは、Medical schoolはmedical graduate studentだけに教えれば良いが、undergradのいるdepartmentだとそういう人たちにも教えなくてはならないからである。ちなみにUCI 医学部の場合は8 hour /yearで、これは他の学部や大学と比べると非常に少ないらしい。

こういう条件は、job adにはほとんど書いていないので注意が必要である。ネゴの対象になるのかは不明(学部・大学によってきまってしまっていることなので、多分ネゴの対象にならないと思う)。なので、あらかじめ聞いておくほうが良いのかもしれない。僕の場合、何も知らずに職探しをしてしまった。でも、Start-upにしたって、日本の大学と比べれば遙かに良かったので、文句はなかったのです。

あと、大学によっては家を買うための資金をくれたりするところもあるらしい(UCSDなど)。UCIはそういうのが無い代わりに、キャンパス内に市価の1/3程度で家が買えるということになっていた。

僕のUCIのポジションの場合、面接前から条件がすべて決まっていて(start-upの額も含めて)negotiationの余地がなかったのでなにもこちらから要求はしなかったが、後から考えるとしておけばよかったなと思うのは、

○Green cardのサポート(大学のサポートと家族の申請費用)

○共通機器へのアクセスの保障

○大学内への各種centerへのaffiliationとtraining grantの保障

などは、主張しておけばよかったと思う。


五十嵐の記録

就活は秋から始まる。10月の末までに提出、というのが多いが、一番早い第一陣が9月末に提出なので、7月くらいから二ヶ月くらい掛けて準備(もちろんもっと早いほうがよい)。僕は9月の神経科学大会の座長をやったせいで忙しく、それが終わった中旬から半月で終わらせたので、完成度があんまり良くはなかったと思う。

早めに推薦者に推薦状の依頼をする。推薦状は3-5通求められる。ポスドクラボのボス、大学院生時代のボス、ポスドクラボの先輩。5通必要な時は、大学院ラボの先輩と学部時代のボス。出すDepartmentの先生たちがなるべく個人的に知っていそうな人に頼めるのが良い。

最終的に46カ所に応募(日本2, イギリス1, スイス2, フランス1, アメリカ40)した。

これも、一度にopenが出るのではないので、一月ごとに10カ所ずつ、のように出して、そのたびに推薦者にメールを送った。これを計5ラウンド繰り返した(一度にあんまりたくさんに出すと自分も推薦者も混乱する)。

アプライをしている最中にボスがノーベル賞をとってしまったので、「記憶の研究をさらに発展させる」という感じの自分のアプリケーションはウケが悪くなってしまったかもしれない。


以下は面接に行ったところ。


京大

白眉は3月締め切り、8月面接、10月発表。詳細は聞いてください。


UCL (Sainsbury Wellcome Centre)

9月末に出したUCLから二週間くらいで面接の通知が来る。11月の頭にロンドンで面接。12人のなかから4人程度を選ぶconference形式。当日に配られたスケジュール参照。一日目が12人の発表(一人20分でずいぶん短かった)、二日目がグループ面接。かなり変わっていた。

以下、直後に知人に書いた記録。

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「新しいセンターはWellcomeとGatsbyの両方からお金が流れているようで、かなり気合いが入っているようでした。External search committieにアメリカからHHMIの先生方がたくさん来るという気合いの入れようです。

あとは内部の偉い先生方。

候補者は全部で12人いました。アメリカ人、イギリス人、アメリカにいたヨーロッパ人がメインです。このなかから2-4人選ぶそうです。

初日は20分でこれまでの仕事とこれからやりたいことを話しました。僕は両者に半々ずつ使ったのですが、わりとプラン中心に話す人は少なかった印象です。本当にあれでいいのかな?と思いましたが。10分が質疑で、search committieの人が質問しました。圧迫的なのはそれほど多くなかったのですが、偉い先生がそんなのやって意味あるの?みたいなのを聞いてましたね。。。でもって夜が晩餐会でした。

二日目はグループ面接で、三人ひと組に対してsearch committie 2-3人、45分の面接 x 4セットです。割とプラクティカルな質問が多かったのですが、英語に問題のある僕にはなかなかきつかったです(イギリス英語が全然聞き取れなかった)。

三日目にロンドンに戻って、新しい建物の見学でした。お金がかかっている感じで、都会のど真ん中にある建物でした。PIの部屋がガラス張りで丸見えになっていました。

というわけで、まあ、いい経験にはなりました。あれだけの偉い人たちの面接を受ける機会なんて多分もう無いと思います。そういう意味では、この先どこに面接に呼ばれたとしても、自信にはなるかな、と思いました。

個人的には、5年間の契約であることがひっかかりました。あとは給料が家族で暮らすには難しそうだと思いました。

ただ、周りにいる人たちがすごいので、自分自身を育てるには相当いい場所なんだと思います。

このあと、アメリカの大学のインタビューに、どこか呼ばれないかなあと思っているのですが。

小さめの街で、のんびりした所のほうが幸せに暮らせるのではないかと感じています。」

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そもそも、UCLはテニュアトラックではなかったし、給料の安さからロンドンで暮らすのはかなりきつそうだと思っていた。なので、練習と思って気楽にいった。が、それがやはり良くなかったようである。面接する側は、候補者がどれだけシリアスにその職を目指しているのかなんて、簡単に見抜くのである。11月中旬の落選の連絡にがっかりしたと同時に、ちょっとホッともした。落選の理由は、「既にいる海馬研究者との違いが十分でない」ということだった。しかしそれは最初から分かっていたことである。結局SWCが取ったのは、磯貝さんとMurrayというJesselラボの人二人だけだった模様。

すごいPublicaion recordを持っていた他の候補者たちは、みんなアメリカのいいところに決まった。


Baylor

11月末頃に、Baylorから推薦者に、上位10%に入ったので推薦状を送るように連絡が来る。


UC Irvine

12月の頭に、UC Irvineから電話面接をしたいというメールが来る。ノーベル賞授賞式で対応できない日を外して貰って、その後に電話面接。かなり緊張して、いろいろ準備した(準備した質疑応答集をそらで話せるくらい覚えた)が、実際は「英語チェック」だったようである(英語綺麗ね!と言われたので)。たぶん、どうしようもない発音でないかを面接に呼ぶ前に見ていたのだと思う。話の内容は単に、面接と、もし通った場合のポジションの契約内容の説明だった。面接がカンファレンス形式だと説明される。

数日後、面接に呼ばれるとのメール。準備期間は一ヶ月だった。UCLに落選して思ったのは、落ちてしまうと何もならない、ということ。なので、一ヶ月はすべて発表の準備に使った。プレゼンはUCLの反省も踏まえ、すべて作り直した(特に誰にでも分かるような平易な内容にすることに注力した)。この後どこから面接に呼ばれるかわからないし(もうこれで終わりかもしれない)、UCIは自分の欲しい条件をすべて満たしていたので、本気でオファーを取りに行くつもりだった。


一週間ほど前に予定が送られてくる(別紙参照)。結局、他の候補者よりいかに抜きんでるかなので、他の候補者のリサーチは徹底した。海外から呼ばれたのも自分だけだったし、三大誌の論文があるのは自分だけだったので(しかし、あとでそうでないことが判明)、勝ち目は有ると思った。

面接はfaculty三人だけで、日程に余裕があったので、コラボが出来そうなfacultyを探して個人的にアプローチして時間を作って貰った。これは重要だったと思う(そのうちの一人がsearch committeeのメンバーだったことがあとでわかった)。Facultyの論文はあらかた目を通して、研究を把握しておいた。

1月末にアムステルダム経由でLAXへ。前日のチェックインの際、AMS-LAX便にはなんとビジネスに1席空きがあり、$350だったので、これは投資する価値があると思い自費で購入。横になって6時間くらい寝ることが出来て、翌日時差ボケに苦しむこともなく効果てきめんだった。

前日昼にLAXに入ると、運転手が名前を持って待っていた。Newport Bayに面したホテルは、最初あてがわれた部屋が日差しの入らない部屋だったので、無理を言って午後の日差しがさんさんと入る西向きの部屋に変えてもらう。寒く暗い1月の北欧から来た自分には、眼下のプールで日光浴をしている人たちとの違いはなんてunfairなのだろう、と思った。

時差ぼけを直そうと昼寝しようと思ったものの、眠れず。緊張と、案外飛行機でよく寝られたのだと一人納得。夕食は車窓から見かけた近くの寿司屋に行ってみた。店員と日本語でしゃべれたのは緊張を解くのにはよかったかもしれない。かえってリハーサル、就寝。


一日目。

ホテルに大学院生が迎えに来る。ここで他の3人の候補者と対面。彼らに勝たなくてはいけない。最初に学科長の先生との会話。条件の説明。Start-upの額は650kであり、ラボスペースは1200sqft。no negotiationだと言われた。面接が終わった後、一位の候補者は一週間以内で返事をすること、しない場合はオファーを失う、と言われ、かなり驚く。これは、この前の年にオファーされていた人が、あれこれ引き延ばした挙げ句、オファーを蹴ったという一件があり、彼らはかなり警戒していたことによるらしい。そんなわけで、オファーがきたらどうしよう、みたいな話は翌日候補者同士でも話した。何人かは、あの額のスタートアップじゃ少ないよなあ、とこぼしていた。

そのあと研究室のスペースと、オフィスを見せてもらう。UCLのオフィスよりは日当たりはよさそうだ。よし。

その後、Vice chairの人と、オフィスが隣になるだろう去年入ったassistant profの人と話す。隣人との会話は重要と聞いていたので、彼との会話には気を使った。できるだけナイスに。

発表は4人のうちの最初。これは気楽でよかった。もうすでに二回面接を受けていたので、緊張することもなく首尾良く発表が出来た。

途中、HHMIラボ出身の候補者が発表で、仕事がNatureについ最近acceptになった、と言い、焦る。アメリカ人の彼の発表はジョークもいれてかなり上手く作ってあり、負けるとしたら彼かな、と思う。彼に勝る自分の強みは記憶研究に重点を置くDepartmentとのフィットの良さだろうと思い、翌日のchalk talkではそこを強調することにする。

夕食はFacultyの車に乗せて貰い、候補者みんなでイタリアンレストランへ。Search committieeがほとんど来ていたと思われる。が、こちら候補者も一人ではないので話が分散して、そこは楽だった。飲んだ方が滑舌が良くなるので、飲む。できるだけ話すようにした。わざわざ自腹でビジネス払って来たんですよ!と学科長にアピール。

ホテルに戻り、翌日のリハーサルをする。


二日目。

Chalk talkは、一番最後の昼前。他の候補者は参加不可だったので、変わりにgrad studentのjournal clubに参加。なるべく突っ込む(grad studentも評価をしていることがよくあるとのこと)。この日は最後にchalk talk。予定通りに発表し、ツッコミもそこまでではなかった(ちょっと拍子抜けした)。Fittingが良いと思います、とアピール。言葉を言い間違え、うーんjetlagかも、と冗談を言ったら、学科長が「いや、そんなことはない、お前はビジネスで来たんだ!」と冗談を返してくれるような、和やかな感じだった。公式にはこれで修了。

終わって廊下でぼうっとしていたら、審査委員長の先生がお昼に行かない、と誘ってくれて、もう一人の教員と車でお昼へ連れて行ってくれることになる。好意を持ってくれているのは明かだった。これは脈があるのでは?と思う。海が近いんですよね、と言ったら、みたい?と、海まで連れて行ってくれる。近くのカフェでめちゃくちゃうまいサンドイッチをごちそうになり、大学へ戻る。食べながら、いかに自分にとってUCIは本命であるかをアピールしておいた。

その後、来る前にアポを取っておいた教員二人と会って話をする。終わってすこし時間があったので、キャンパスを歩いてみる。中央庭園まで行くと、1月だというのにいろいろな花が咲き乱れている。広くてなかなか綺麗なキャンパスで、学生たちが散策している。ここの先生になれたら素敵だろうな、と思う。帰り審査委員長の先生がホテルまで送ってくれた。

その日はクタクタで、昼の残りのサンドイッチを食べてバタンキュー。



三日目。

この日は帰る日。だが、いろいろ情報を得るために、隣の学部の日本人教員にお願いして朝早く時間を取ってもらう。時間オーバーするくらい話をして、審査委員長の先生にせかされる。審査委員長の先生にお土産のお菓子を渡して、10時にリムジンでLAXへ発つ。

その日のfaculty meetingで候補者が決まる、と聞いていた。と、飛行機に乗ってから、学科長から「skypeで話したい」というメールが来た。もしかしたら…と思ったが間に合わず、乗り継ぎのアムステルダムでその日の夕方にかける旨伝える。トロンハイムに昼過ぎに戻り、夕方研究室へ。研究室でスカイプをとると、果たしてオファーでした。家に帰ってお祝い。


さて、どうするか、と悩む。

この時点で、Baylorからのinterviewが3月末に来ていた。UC Davisは電話面接が二月上旬に。Baylorは3人取るといっていたこともあり、お金もありそうだったので、僕としては面接に行ってみてかった(というより、もう少しいろいろな面接を楽しんでみたかった)。

推薦状を書いてくれたラボの卒業生に相談したところ、Baylorのcommittieにすぐに連絡して、すぐに面接を設定してもらうべきだ、という意見。ただし、彼女はUCI出身だったこともあり、Texasに比べて場所がいいし、Irvineには何でもある、個人的にはそちらの方が合うだろうと思うわ、という意見だった。

一方、ボスたちは、UCIの研究はBaylorには引けを取らないし、生活は絶対にカリフォルニアの方がいいだろう、という意見。是非とも受けなさい!とのことで、あれこれごねるのはやめて、すんなり受け、残りは辞退することにする。

というわけで就職活動が終わりついに心も落ちついた。

が、その後3月になって理研からインタビューの通知が来たときには心が揺れた(やはり日本に帰れたらいいなとは思っていたので)。だが、やはりこれは残念だが辞退した(候補者には知り合いが二人もいたことがあとで判明。狭い世の中である。結局O事件の影響でだれも取らなかったらしい。。。)。


というわけで、46カ所中、面接通過が5カ所(日本2, イギリス1, アメリカ2(3?); 実際に行ったのは日本1, イギリス1, アメリカ1)、オファーは2カ所(日本1, アメリカ1)。フランスのパスツールは一次通過だったが、辞退。


後日談:Baylorは、学科長が海馬が出来る人を欲しがっていて、僕のアプリケーションをかなり気に入ってくれていたらしい。本人談。こういうのは、もはや縁の問題なのだと思う。

ちなみに、面接までいった人は、だいたいどこかで仕事が決る模様。


【終わってからの所感】

大学ランキング20位以内のトップ大学に行けたらいいな、などと考えていたが、今から考えれば、自分を自分の実力以上に高く見せようとするアメリカの「常識」がなかった自分にはそういう大学は難しかったと思う。Publication(三大誌 >1)、グラントの履歴 (K99)、新しい時代を切り開くような響きを持った研究計画(そしてR01がすぐ取れそうか)。そういうものが必要だろう。そういう人たちの仲間入りができなかったのは残念ではある。しかし、逆に研究はじっくりできるだろうし、海馬をやっている人が多いのはプラスである。


職探しを終えた段階では、アメリカでなんらかのポジションを取れたのは上出来だくらいに思っていたが、こちらの常識もわからず職が見つかったのは奇跡的だったのだとこちらに来てみて思うようになった。僕はアメリカのグラントなどの履歴もなく、アメリカの人種政策の蚊帳の外にいる外国人なわけで、いまから考えてもよくもまあ決まったものだと思う。アメリカにいたことが全くない人間を取るというのは、大学にとってもリスクだろうとも思う。



生活環境に関してUCIはいまのところ気に入っている。①LAX空港まで一時間と近い ②日本語補修校が20分のところにある ③ミツワも近い ③温暖な気候であり、海も山も近い ④教員住宅が大学内に安く買えて、通勤は自転車で10分程度、 ⑤日本企業が多いので、家族も仕事が探しやすそう ⑥治安の良さ ⑦公立学校のレベルが小中高すべて10とハイレベル

研究のレベルがやや劣るが、それを補ってあまりあると思う。




具体的な手順


まず、情報を集める。

参考になるサイト

安田さんのサイト

http://www.linkclub.or.jp/~hiikoysd/ryohei/job.html


坂田さんのサイト

http://lifecology.blogspot.no/2010/05/blog-post_08.html


HHMI Making the Right Move

https://www.hhmi.org/sites/default/files/Educational%20Materials/Lab%20Management/Making%20the%20Right%20Moves/moves2.pdf


就活はテクニックなので、なるべく多くの情報を集めた方がよい。

「切磋琢磨するアメリカの科学者たち」という本もアメリカのシステムを知らない僕には参考になった。


8月くらいからopen positionが出始めるので、リストアップする。

open positionを探すサイト

イギリス

www.jobs.ac.uk

スウェーデン(北欧)

www.academicpositions.se

EMBO

http://ec.europa.eu/euraxess/index.cfm/jobs/index

Swiss

http://www.swissneuroscience.ch/Job_Fair/Open_positions

Nature job

http://www.nature.com/naturejobs/science/

Science

http://sciencecareers.sciencemag.org/

NeuroJobs

http://neurojobs.sfn.org/jobs

Cell press

http://careers.cell.com/

FENS

http://www.fens.org/About-Neuroscience/Jobs/

日本

http://jrecin.jst.go.jp/seek/SeekTop

ノルウェー

http://www.nansenneuro.net/


書類作成

●いかにいい良い研究計画を作れるか(R01 x1~3個程度)

●いかにその研究が脳科学の中で重要なのかをアピールすること。

●自分がそのInstituteに入った際に、既存のfacultyにとってどのようなメリットがあるか


自分のいままでのバックグラウンドを生かしつつ、次の新しい分野をどう切り開いていくか、というところが重要。


●Specific aimは三つ立て、一つはいまの仕事の発展、一つはさらに大きな展開が見込めるもの、最後の一つは病気に関連したプロジェクトにした。1/3くらいは病気に関連したものを入れておいた方がよいと言う話は良く聞いた。

数ヶ月掛けて書いて、出来るだけ多くの人に批判的によんで貰った方が良い(と思う。自分は時間が無くて出来なかったが。。。)。


応募

これは時間がかかるだけで、特に大変なことはない。


インタビュー

書類選考が足切りだとすれば、こちらが二次試験。ただし、書類選考の段階でほとんど同レベルの候補者が集まっているはずなので、順位は逆転が十分ありうる。

いかに他の候補者から抜きん出るか、ということが大切と思われる。

面接では、これまでと異なったパフォーマンスが求められる。

●ビジネスマンのように、自分を売り込む能力

●ディナーで周りと溶け込む能力(黙っていてはいけない。積極的に場の中心で居られる能力)

●周りのfacultyの仕事を100%理解して、積極的にコラボをしたいという姿勢


インタビューは、場数を踏むごとにうまくなるものだと思う。なので、talkはなるべく経験しておいた方が良い。僕はSfNの後にいろいろなラボに行ってtalkをさせてもらった。自分でどこかへ出かけていってトークするのは、お金を払ってでもやる価値のある経験が出来ると思う。

210823追記

大学に実際入ってみると、採用された教員は姉妹誌x1程度のpublicationの人が大半である。ただし、超有名ラボ出身か、K99か、強力なコネのいずれかを持っている人たちである。また、UCIは研究テーマを絞った採用をすることがあり、その場合は採用基準が変わることが多いように思う。

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